ホームで簡単な引き継ぎを終え、昼の休憩を取ろうと業務員用の通用口へ足を向けた視界に鮮やかな橙色が目に入った。
ひとの趣味は十人十色。派手な服装をするものが珍しくもなくなった昨今であっても、その色は目立たないとは対極の場所に居る気がする。
長身を壁に預け、片手に持った書類へ視線を下ろしている彼の姿は、けれど雑踏で人の目を浚うような軽率さなど微塵も持ってはいなかった。
背景に溶け込むを良しとした計算され尽くした雰囲気に自然と眉間へ皺が寄るのを自覚しながら躊躇いなく歩を進める。扉の番人よろしく隣りに立つ彼は、少しも動く事をしない。
ドアノブを掴むと、頭も揺らさず長身の男の視線がこちらを見下ろす。
「過ぎた行為は、身を滅ぼしますよ?」
一瞥も合わない内に視線が向く先は、手だった。
白い手袋の下の指を、へし折ってやりたいと目が歌う。
「貴方の一番は、貴方でしょう?」
扉の前で不自然に立ち止まった男と、壁で書類を読み耽る男。傍から見たらどんな関係に見えるのだろうか考えてもゾッとしない。
管轄が違えど上官を相手にしているとは思えない態度をした彼に至っては、会話などしているようには見えもしないだろう。僕だけが周りから浮くように、扉を開けられずに立ち止まっている。
本当に読んでいるのかも怪しい書類で口元を隠しながら、可愛げのない男が口角を歪ませた。完璧なまでの笑顔。こんな輩と毎日顔を合わせているから、高崎は僕の笑顔にケチを付けるのだろうかと思い至って、胸やけがした。逆流性胃腸炎ってやつかもしれない。
背中で乗り換えアナウンスが流れていた。高崎線の名に、指先が震える。
「高崎、元気?」
表情も変えず、体重など少しも預けてはいないだろう背中を壁から浮かせた男は短い髪が掛かる項を晒しながら「勿論」と言葉だけを返してきた。弾むように告げられた声は子供染みた所を残す愛すべき部下のそれと似ていて、けれど足元から冷えていくような寒い雪の日を思い出す温度を含んでいる。
だけど別に、そんなものは飽きていた。
空気の凍りつくような雪深い夜に閉じ込められる冬の孤独にも、永い時間は慣れさせてくれる。慣れるための手段なぞ、いくらでもあった。皮膚の熱さえいくらでもある。
「ならイイや」
別に興味があった訳じゃない。声に滲ませながら冷えた鉄のドアノブを回せば、錆びた音に重なって足音が遠ざかっていく。たったその一言が言いたくて此処に居たの?なんてわざわざ言ってやるのも面倒で、振り返る気もなかった。
扉を開けて、温度の違う通路に体を入れる。
「君も昼かい、高崎?」
「あ、うつの―――」
閉じていく扉の気配に混ざって、似つかわしくない柔らかな声が聞こえた。それに返事をする声が途中で切れる理由は、扉が完全に閉まってしまったからだ。それ以外に無い。
このまま通路で待ち伏せてしまおうか。
構い倒し甲斐のある部下の、大袈裟な反応は見ていて楽しい。困った顔で、だけど精一杯応えようとしている姿勢は犬のようだ。彼の相方に齎された胸やけを解消するのは、やはり。だけど。なんで。
止まれなかった。振り返れなかった。顔が見れない。
過ぎた好意は、身を滅ぼしますよ?
一番好きなもの。一番大切なもの。一番。
通路を進むひとり分の足音が耳に反響して煩い。駆け出してしまいそうになる衝動に奥歯を噛んで、不快が腹の底からせり上がってくる胸元を握りしめた。
「…関係ないだろ、そんなこと」(キミには)