鳴り響くチャイムの音に重ねて、終わったぁと声を上げたのは一人や二人ではなかった。その気持ちを少なからず理解してくれる教師も苦笑を零すだけで注意する気配はない。回収し終えた答案用紙を綺麗に揃え、「お疲れさん」と教室を後にした。
 ピンと糸を張っていたような緊張した空気は一気に霧散し、3日に渡った定期考査が終わったのを誰ともなく実感している。何番目の設問に何を書いたか。どの教科に自信がない。お決まりのセリフが其処彼処から聞こえるのは緊張に疲れた頭には正直苛立ちの素だのに、それを不快だと思わない程度には級友たちとの距離は好ましいものだった。
 クラスの中で良くも悪くもムードメーカーな高崎が、喧噪の中で一際大きな声を上げ天を仰いだ。
「あー終わった!クソ眠い!明日は絶対ぇ寝る!!」
 一夜漬け宜しく、徹夜して詰め込んだと隠さない目の下に薄らと隈を滲ませた顔で長身を机の上に折りたたんだ男は、その儘でもスグに寝てしまいそうな勢いで静かになっていく。片足を睡魔に引っ張られた腕はそのまま机からはみ出し、前列に座る僕の椅子の背をノックするように当たった。
 コツン、その感触に驚いたのか、慌てて腕を引っ込める寝惚けた間抜けな顔だけが飛び起きて、こちらへ向けて「ワリ」と擦れた声が掛かる。
 別に。短く返すつもりだった言葉は途中で切られ、何かを思い出したのか大きく眼を開いた子供臭い顔がマジマジと、僅かに半身を捩って後ろを向いた僕を覗き込んでは興味本位の視線を寄越した。メガネのガラス板一枚でどうにか保たれる不可侵の距離は、良くないものだ。誰にとっても。
「何?」
 君の隣りの席に気付かれる前に離れて欲しいんだけど、胸中で呟く。
「メガネ掛けてると、頭良さそうに見えるって言うじゃん?」
 その発言が既に頭が悪そうだよ、とは言うと話が面倒な方向に向かいかねないから口には出さず緩く首を傾げるだけで続きを促した。未だに興味津津という顔を隠さず、高崎は机の上にダラケた上半身を乗せながらニィと口角を上げる。
「俺、メガネ掛けっかなぁって」
「…高崎」
 それ、自分が頭悪いって認めたんだね?と言うか自覚があったんだね?
 どうしても憐みが混ざり込んでしまう視線で相手を見返せば、それはそれは満足そうに勝手に納得した級友が机から体を起こして自分の隣りを見遣った。
 高崎と同じ顔をした、けれどテストなんて何処吹く風と涼しい表情で座っていた宇都宮が頬杖を付いて肩を竦める。「何?」と短く漏れた声の平坦さは寧ろ不機嫌な彼の心情を表していよう気がしたけれど、その事に少しも気付く様子のないその片割れは至極楽しげに体をそちらへと向けた。まぁ巻き込まれさえしないなら、こちらとしては喜ばしい以外にない。 「なぁ宇都宮、俺、メガネにする!」
 本当に同い年だろうか。体だけ大きい幼児が迷い込んできているのではないか、と不意に思った僕と同じ気持ちにでもなったのか、宇都宮が眉を寄せて未知の生物を眺めるような酷い顔をしていた。
「…君って―――」
「HR始めるぞー」
 担任が喧噪を静める言葉を告げて、教室内は従順に声を潜め、姿勢を正す。それに気分を良くした教師が、テスト明けとなる明日明後日が土日であるので羽目を外さないようにと笑いながら言う言葉へ生徒が当然だと言わんばかりに頷いた。もっとも、どんな事が羽目を外す行為であるかを考えた上でギリギリのラインを楽しむような輩が混ざっていたりもするが。
 息抜きを否定はしない教師が来週の予定を軽く伝え、号令が掛かり終礼。慣れた流れは滞ることもなく、週末を採点作業に潰されると嘆いた教師は足早に教室を後にした。
「根岸、」
 帰り支度を、と鞄に手を掛けたところで右隣りの席から掛かった声へ手を止める。
 部室の鍵を預かる彼は常ならば所属する弓道部へ行く用意をしている筈だのに、黒板の上に掛けられた丸いアナログ時計を眺めながら何かを待つように立っていた。何、と返すと罰が悪いものを思い出したように少しだけ表情を崩した珍しい顔が、ゆっくりこちらを向く。
「ワリィんだけど、月曜まで生徒会のほう頼むわ。ちょい日曜の夜まで出掛けっから」
「…へぇ、珍しいね?忙しい時期じゃないから別に構わないけど…」
「ジュニア、旅行に行くのか?」
 後ろの席から加わった声は羨ましいと隠さず、その子供っぽい声にジュニアも僕も苦笑するしかなくて、呆れるように保護者役が高崎の頭を軽く叩いた。その人懐こさは好ましいものだけれど、やっぱり同い年を疑いたくなる。
 痛ぇと唸って頭の天辺を両手で押さえる高崎は、拗ねた様子で唇を尖がらせても宇都宮から逃げることをしない。二撃目の可能性は手の平というガードで防いでいるつもりなのだろう、良い玩具だ。…なんて口に出したら後々が面倒だから絶対に言わないけど。
「お前ら、本当に飽きないよな…」
 呆れるような、微笑ましいものを見るような、他人事の素晴らしさを語り出す苦笑を携えたジュニアは時計を気にしていた。もともと遅刻の類を嫌う性格の彼には、珍しいことではない。
「旅行じゃねぇから土産は期待すんなよ。…じゃあ、頼んだ。月曜に、また」
「そう言う意味じゃねぇーし!…またなー」
「うん、気を付けて。月曜に」
「お疲れさま、東海道」
 ひらひら、いつもと同じ笑顔を張りつけた宇都宮の言葉に眉を寄せて、けれど何か言いかけた唇は閉じられたまま教室を後にする背中を追うように他の級友たちから声が掛かった。それに律儀に返していた背も、今日から再開する部活が多いのもあって見慣れた混雑の様相を呈している廊下でスグに見えなくなる。
「…何か知ってるんだろ?」
「知らないフリをしている人が大勢居ることなら、知っているよ」
 見えなくなった背を見遣った視線の儘に掛けた言葉は、予想外にも相手から返答がある事で独り言とならずに空気に馴染んだ。もっとも、疑問符の役割なぞ意味もなく、望む答えが返っては来ないけれど。
 まるで其処には悪意が無いことをアピールする笑顔は、善意の類も存在はしていないと語って余りある『無』感情に満ちていた。
 首を傾げる高崎の子供臭さが、いっそ可愛く見える。
「あ、そうだ根岸!眼鏡って幾ら位すんだ?」
 前言撤回。これは可愛いも何も、本当に子供だった。
「…因みに聞くけど、高崎って視力は?」
「2.0?」
 急に頭が重くなった気がして額に手を置くと、宇都宮も同じようにコメカミを親指の腹で押していた。双子のくせに、どうして此処まで違うのだろうか。成績だけじゃなく、性格の方も丁度良くは分かれないらしい。
 片割れの残念な発言に溜息を洩らして、宇都宮は机に腰を掛けて時計を指差した。賑わっていた教室も、いつの間にか静かになっている。
「どうでも良いけど、今日から部活って言ってなかったっけ?遅刻じゃないの?」
「げっ、ヤベ、もっと早く教えろよ!常磐…も先に行きやがって!じゃあな、根岸!またな!」
「ほらほら、走らないと間に合わないんじゃない、陸上部さん?」
 鞄を引っ掴んで駆け出す高崎を追い遣るような言葉を背中へと掛けながら、軽い動作で宇都宮は片手を振った。生徒会に所属している人間の目の前で廊下を走るのも、走るように唆すのも止めて欲しいのだけれど、この二人に言ったところで無意味だと知っているから諦める。願わくば、教師に見つからないことだけだ。
 片割れが居なくなって笑みを貼りつかせる事さえ止めた宇都宮は、自分の席へと戻って窓の外を眺めていた。
「部活は?」
 話しかけたことに理由はなく、ただ教室にお互いしか居ない所為だと思う。
 頬杖を付き、もう少しで高崎が駆け出してくるだろうグラウンドを見遣る表情は明るくも暗くもない能面のそれだった。似ても似つかない、彼ら。
 こちらへ一瞥をくれることもなく、声だけが返る。
「美術部は自由参加だよ」
「…高崎が眼鏡――」
 黒い眼が、一瞬だけこちらを射抜いた。
 それは威嚇とか殺気とか、名付けるならそんな負のもので、一瞬だけのそれに背筋へ冷たいものが走る。
 そんな恐怖にも似たものを抱いたこちらの心情なぞ気にも留めない当人は、さっきの視線が嘘だったみたいに微塵の変化もなく外を眺め、短く息を吐いた。
「僕と間違われないように、だってさ」
 眼鏡の理由だと、遅れて気付く。
 けれど高崎が最初に言っていた理由は、もっと子供くさくて単純なものだった筈。鼻先を突き合わせて告げられたそれを思い返しても、それ以上に理由があるようには思えなくて眉を顰めてしまえば、フッと鼻に掛かった嗤いが小さく漏らされた。
 笑顔になり損なった歪んだ表情。珍しいそれは、自嘲に見えた。
「似てなんかないのにね?」
 双子のようなもの。
 高崎と宇都宮の二人は背格好も顔もそっくりで、知らないものが見たら双子だと認識するだろう。同じ家から学校に通い、同じ家へ帰る。登録された住所が同じなのだから、血族だろうと。
 けれど、彼らはお互いを双子だとは言わない。
 腹違いの兄弟だと、新入生の時分に流れた噂を否定しなかったのを覚えている。肯定も、しなかった。
 高校生にもなって他人様の家庭の事情に首を突っ込むような真似をする人間も居ないけれど、彼らが互いに別々の親元で暮らしていたのは話の端々で聞いてはいる。どういう話の流れかは知らないが、今は同じ家に暮らしていることも。
 似ていたいのか、似ていることを否定したいのか、彼らの行動と感情は全てがバラバラで他人が理解出来る範疇なんて存在していない事だけは確かだった。
 そして当人たちも、共有できない感情を持て余している。
「馬鹿なことを言い出す所はそっくりだけど」
 小さく漏らした言葉が聞こえなかった宇都宮の、眉間に皺を寄せて尋ね返してくる姿は滑稽だった。もう一度言ってやる理由なぞ無いから肩を竦めるだけで返す。
 鼻立ちの似ている顔は、けれど目だけが確実に違かった。
 体いっぱいで感情を爆発させる高崎と、押し隠した感情が目にだけ如実に現れる宇都宮。雄弁な目が、視線が、語るものに気付かないのも当人たちだけだと教えてやる義理もない。
「…テスト、今度こそ勝つから。それじゃあ、お先に」
 宣戦布告は暖簾に腕押し。途端に余裕ぶった顔を作り上げた相手は、「楽しみにしてるよ」と会話の終了に少しの興味も見せず、見送るべく片手を振った。
 部活道の賑やかな声が、あちこちから聞こえる。
 本当に双子だったら良かったと、彼らは言わなかった。


と依存(僕らは偽ることに慣れた道化師だった)


[ ] 0408.12'up / 担任はたぶん山陽先生