警備員の配置を確認し、運びこまれた撮影機材がセッティングされていくのを黙って見遣った。監督らしき男がカメラ位置を探して歩き回る姿が不審過ぎて遠巻きに眺めている他の利用客への申し訳ない気持ちで東海道新幹線の名を持つ男は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。
準備を整えたらしい撮影隊が責任者を探してこちらへ来るのを見遣り、駅長と共に立ち会った。
最終ダイヤがこの駅に停車するのは3分ほどの短い時間だ。
下りた乗客の中へ自分の恋人の姿を探す女性、発車を告げて夜の闇に走りだす車体、自分と同じように恋人を待ち望んでいた何組かのカップルが抱きあうのを眺めて寂しさに項垂れながらホームを歩きだした先に見つけた恋人へ走り出しそうになる足を堪えてゆっくりと近付き、あと一歩の距離から飛びつくように抱き合って終わる。
最初の1カット。それさえ撮れれば、あとはホーム内でゆっくりと撮影してしまえば良い。逆に言えば、撮れなければいけないプレッシャーが掛かる。
事前に乗り込んでいるスタッフによって、カメラに映り込む乗車口で乗降する予定の乗客へは撮影がある旨を伝え、顔は映らないようにするからと使用許可を取り次いでいる筈だ。同時に女優の演技の邪魔にならないルートの説明も。
ひとつ一つを確認し、お決まりの挨拶を交わして持ち場へ戻ると主演となる女優がホームに姿を現した。長い髪の柔らかい雰囲気を持った女性らしい女性、の印象に目を細める。あまり顔色が良くないのは緊張の所為だろうとスグに判った。
撮影スタッフの中へ紛れ込む前に一度立ち止まり、くるりと振り向く。
「ありがとう御座います!私、頑張ってきます」
応援して下さいね、と少女らしさを過分に残した甘い笑顔を振り向いた視線の先が緩く頭を下げたのが見えた。スラリと伸びた長身の、
「…本線?」
駅の混乱を避ける為に等間隔に配置した警備員も気付いて話し掛けるのが見える。見間違う訳のない弟の姿へ驚きを隠せず、東海道は直立不動の姿でその場に固まった。
こちらへ近づいてくるのが判る。
「お疲れ、兄貴」
フードが付いた明るい灰色のミリタリージャケット、黒のストレートジーンズにハイカット丈の黄褐色をしたマウンテンブーツ。
ニィと笑みを浮かべる青年然とした男の顔を、じぃと眺めた。
「東海道…」
「ぁ、邪魔だった、か?」
見にくるか、と言ったのは男の方だったが、本当に来るとは思わなかったのが本音だった。本音だけれど、仕事以外でこうして顔を合わせるが久しぶりなのも手伝って、嬉しくない訳がない。けれどそれを簡単に言葉に出来るような男でもない。
目を丸くして言葉を続けられない兄の姿を訝しんで、頭半分ほど高い身長を所在なく小さくさせた青年が眉尻を下げた。頬を指先で引っ掻き、ジャケットの大き目なポケットから缶コーヒーを取り出す。
「ゴメン…顔見れたし、スグ帰るからさ」
差し入れだと翳される缶コーヒーを慌てて受け取って、一緒にその手も捕まえたのは反射だった。衝動的に抱きしめそうになったのを抑え込んだ自分を褒めたい気持ちで、東海道新幹線が口角を引き上げる。
「待っていろ」
それだけを伝えた。
驚きで時間の感覚が狂い掛けたが、それでもアナウンスが入る前にホームへと近付いてくる車輌の気配を体が感じる。慌てる心地と浮足立つ感情へ蓋をして入って来る姿の一番見えやすい、いつも見ている定位置へと立った。
アナウンスが響き、撮影のスタートの号令が続く。
場所取りされた位置に立つ、恋い焦がれた視線を夜の闇へ向けた女性。
会いたいと、言わないのは強がりだった。会いたいと、言ってくれないのは遠慮だと知っていた。仕事の関係で一か月近く合わない事も少なからずあって、それでも寂しいと言わないのは。
本当に、ただ顔を見に来ただけなのだろう弟をちらと一瞥して、けれど仕事中だと顔を引き締め、確認作業を終えた業務員の合図に発車号令を出す。胸を張って送り出す。弟の前だから意識したのも半分。
見送って戻ると、けれど肝心の弟の視線は反対を向いていた。怒りに似た落胆で近付くと、話しかけている撮影スタッフらしき姿が柱の影に隠れているのが判る。そういえば、最初の1カット目は無事に成功したのだろうかと遅れて思った。
少しだけ離れた所にブースを気付いていた監督らしき男の「OK」の声が響く。
「顔は映しませんので――」
「どうした?」
困惑を伝える背中に掛けた声へ勢い良く振りむいた弟と、話しかけていたスタッフらしき女性の視線を一斉に浴びて東海道の眉が寄った。女性が男の制服を珍しいものを見る視線で眺めてから、不躾に気付いて慌てた様子で足元へ落ちる。
「ぁ、ADの佐藤です。こちらの方に出演をお願いしていまして――」
ハキハキとした口調と人当たりの良い笑みを浮かべた女性は自分の素性を明かし、不審者ではないと言うように首から下げていた許可書を翳した。薄い化粧に明るい色のショートカットは先程の女優とは打って変わった活動的な印象が強く映る。
こちらの方、と言われた青年が困ったと言葉の代わりに肩を大袈裟に竦めた。
「自分は鉄道職員ですし、業務外のものは全て上司の許可が必要となりますのでお受け出来ないと言っているのですが」
関係者だ、と名乗っているので強い態度に出れない姿は同僚が見ていればからかいの的にもなっただろう。目の前で見ている兄とて、一度沈んだ感情が戻るのを感じてしまう。勤務時間中であれば有無を言わさぬ態度を自然と取れるくせに、普段とのギャップに愛しさも覚えた。
頤に片手を添え、ふむ、と小さく頷く。
「出れば良いじゃないか?どうせ主演女優以外は皆、顔はボヤケて判らないのが仕様だしな」
「は!?ちょ、何言ってんだよ!」
丁寧で真面目だった雰囲気が崩れ、乱暴な言葉尻に笑みが深くなるのを感じた男がわざとらしく背中を向けた。その背に慌てて近寄ってきた弟が耳元で「兄さん」と囁く。
「何、考えてんだよ?大体…」
「構わん。こうして上司の許可が出たんだ、ついでだから目立って来い」
「上司さんのOK出ちゃいましたねー、良かったぁ。お兄さん、オーラあるし立ち姿も綺麗だから目立ちますよ!」
お兄さん、と青年の肩をがっちり捕まえた女性に連れられていく姿を見遣って肩を揺らした。
無自覚に女性の視線を攫った罰だ、と胸中で意地悪く告げる東海道新幹線の思惑が本人たちも予想しなかった結果になるのはもう少しだけ、後の話。
→ 続