駅舎の窓から見える壁に似た白い景色へと溜息を洩らした隣りを見遣って、その諦めに似た溜息が空気に溶ける様を見届けてから視線を戻した。
 一度降り始めた雪は天気予報と多くの路線の願いを裏切って一気に猛吹雪へと変わり、日が落ちて暗くなった視界に白い壁を作り出す。風が冷たいのではなく痛い勢いで吹き荒び、大きな塊のような質量の雪が視界を阻む状態は終わりが見えなかった。
 それでも何処か、慣れた感情を持って窓辺から離れてストーブへと寄る。冷えた指先を擦り合わせながら、冷気を纏う窓ガラスの向こう側を見つめ続ける男に掛ける言葉を探してみるが見つからず、自分たちと同じように足止めを喰らってしまっている乗客が携帯電話で連絡をしている姿を他人事宜しくと眺めた。
「…なぁ、連絡はしたのか?」
 車輌点検の為に朝から高崎支社の方へ来ていたと聞く同僚が一時運転を見合わせたのは天候が荒れ出してから遅くない時間だった筈で、対処が早いなぁと感心めいたものを抱いたのは数時間も前の話だ。マニュアル通りでありながら、言葉と違って本当に申し訳ないと語る表情で利用者へと謝罪していたのも。
 見事高崎駅で缶詰めにされた仲間へ僅かに体を振り向かせ返答を待つと、窓辺に片手を押し当てた格好の儘、雪が珍しいと熱心に外を眺めている子供のような顔が視界に入った。あまり良いとは言えない鋭い目つきが真剣に、その視線で雪でも溶かそうと思っているのか、じっと吹雪く景色を眺めている。
「高崎?」
「止んだら、走る」
 会話が噛み合ってねぇよ。
 新潟支社のヤツらなら絶対ツッコミの一つでも入れてくれただろうに、残念ながら此処に居る路線はお互いだけだった。
 頬を爪先で軽く掻き、完全に振り向いて男を見遣る。
「そりゃ、止んだら走るに決まってるって。止まってる連絡はしたのかって聞いてんの」
 していない筈がないだろうが、会話のきっかけにしようとしていた出鼻を挫かれてしまった気持ちまで説明するのは面倒なので割愛した。
 意味まで通じろ、と念じても届く筈がないのは長年、接続先として付き合いも長い所為で知っている。
 眉を寄せ、苛立ったような顔で男が窓から視線を逸らした。拗ねた子供のようだと、思う。
「するに決まってんだろ!…少しでも報告が遅いと、何言われるか判んねぇし」
 怯える視線はいつからだったろうか。あの上官は確かに言葉が辛辣な部分はあるけれど、それでも付き合い難い雰囲気がある訳でもない相手だと言うのに。時折、こうして上官に怯える男の口から聞く相手が、本当に自分の知っている人物であるのか新潟エリアに属している同僚たちと悩んだりもした。
 ゆるく首を左右に振って、窓の外を視線が追う。
「風だけでも止んでくれりゃあ、な」
「ま、止まない風は無いって言うし」
「何だそれ?」
 驚くように、惑ったように笑った。少しだけ首を傾げて、眉を寄せて笑う姿は普段の子供っぽさとは違い過ぎて似合わないと思う。
 似合わないくせに、それは酷く高崎らしく映った。
 嗚呼、似合わない感傷。吹雪の所為だと言うには少しだけ温度が生々しくて、だのに現実感だけすっぽりと失っている心地。名前の付け方を、誰も知らない。
 否、誰でも知っている。
「っと、電話だ。誰…」
 ポケットから携帯電話を取り出した男は、その画面に表示された名前へ慌てた様子で人の居ない場所を探すように離れていった。片手の平を顔の前で拝むように掲げる仕草は、一応の謝罪のつもりだろう。
 上官だろうか、とオレンジ色の背中を見送る。
 同じタイミングで、ポケットの中で携帯が震えた。前触れなぞある筈のない、けれど見計らったようなそれに肩が面白い位に跳ねた自分が可笑しくて、可笑しくて、相手を確かめることなく通話ボタンを押した。
「はい、信越」
『今、何処?』
 窓の外は未だ吹雪の白い壁、オレンジ色の背中は携帯と仲良くしていて、受話口の向こう側からは上官の声。
「アレ?上越上官って、同時通話とか出来ましたっけ?」
 それなりに長く愛用している自分の携帯に、そんな機能があったか思い出そうとしても使ったことがなければ無理だと一蹴。あの分厚いマニュアルを読むのは仕事以外では勘弁して欲しい、心の底から。
 素っ頓狂な声だと自分でも判る、間の抜けた音に受話口の向こう側が眉を顰めた気配を感じた。
『偶に壊れたんじゃないかって思わせるよね、君って子は。それで、僕の質問に答える気はあるのかな?』
「ありがとうございます。ぇと、高崎駅に居ます。いつでも動けるように待機してたんですけど」
 日本海側大荒れの天気のおかげで運休中の為、トラブルは起きていない筈。動かなければ何も起きない、と言葉には出さないように胸の中でそっと零せば、聞こえているのか、何とも悩ましげな溜息が電波に乗って耳元を擽る。
『褒めたつもりは無いんだけどね…まぁいいや。高崎、そっちに居るだろ?電話が通じないんだけど』
「何事も前向きに捉えることは良い事だと思ってるので」
 視線の先のオレンジは、未だ電話中。長電話する相手なんか居たのかと、何とも言えない感情に胸の奥がつっかえる心地がした。お茶なしで食パンを一斤掻っ込んだ感じだ。やっぱり日本人は米が一番なんだ、きっと。でも蕎麦も捨て難い。
 迷走するのは思考か感情か自分でも判らなくて、とりあえず口を開いてみた。
「高崎は電話中です。上官が相手かと思ってましたけど、分身の術は使えないっぽいんで違いましたね」
 まさか高崎のくせに彼女、と言い掛けて声が出なくなる。オレンジ色の肩越しに見えた横顔が、笑っていた所為だ。
 高崎には似合わない、だけど。
 電話の向こう側が納得したように、ふぅん、と小さく洩らす。
『僕に折り返すように伝えておいて。あと、止まってるからって私用の電話はダメだろ、とも付け足してよ。宜しく』
 ブツ。
 余韻もなく、さっさと切られた通話先から『ツー、ツー』なんて音だけが聞こえて取り残された心地になっても、それをどう逃がしたら良いのか判らず途方に暮れた。どう、言うことなんだろう。
 宜しく。
 私用の電話はダメ。
 邪魔してしまえって事か?誰に聞くでもなく自問自答して、それでも上官命令な以上は実行する必要がある訳で。
 高崎、と。同僚の背中へ近付けば耳は勝手に会話の一部を拾った。「お前も止まってるじゃねぇか」「判ってる、お前も気をつけろよ?」「うつのみや
「たかさき!」
「うぉわ!?…っと、信越?どうした?」
 天井まで響いた声は電話の向こう側まで響いただろう。
「上官が連絡寄越せって。あと、仕事中に私用の電話はダメだろ、ハートマークって伝言」
「……マジ?」
「マジ」
 ハートマークにツッコミを入れる余裕もなく、見る見るうちに顔色を蒼褪めさせていく同僚が携帯の向こう側に勢い良く謝って携帯を切った。相手には見えないのに確りと頭を下げるのは日本人の典型的な行動の一つだ。
「高崎って犬みたいだよな」
「…お前、言うに事欠いて……って、繋がんねぇし!上官、今何処に居るって言ってた?」
 携帯相手に奮闘する姿は滑稽も過ぎて微笑ましく、何度目かのリダイヤルで流れたコール音に涙目だ。見ていて飽きない、とは思う。
 上官も、そう言っていた気がした。それを思い出すのはこのタイミングで間違ってはいないだろう。きっと。
「ぁ、じょ、上越上官!申し訳ありませんでした!」
 第一声で謝った男は、やっぱり電話の先には見えないというのに腰を90度に折り曲げて頭を下げていた。写メでも撮って上官に送ってあげるべきだろうか、それとも。
 吹雪はまだ止む気配がなくて、動き出さない世界は閉鎖された儘だった。









□■□■






「あ、ウツノミヤだ」
 オレンジ色の制服が視界の端に映って、見遣った先に居た顔を指差したのは体が勝手に動いた、というやつだろう。
 棒読みで名前を読み上げられた相手が呼ばれた名前に驚いて、けれどスグに隙無く浮かべた笑みを貼り付けた儘で近寄ってくるのを呆然と見遣った。自分からも歩み寄れば良かっただろうかと、存外にゆっくりとした歩調で距離を縮めてくる数分の間を眺めて思う。否、数秒か。
 見慣れたオレンジの背格好と似ているのに、少しも似ていない顔が温和で友好的な表情を作り出して首を傾げた。纏う気配は友好的とは正反対である自覚は120%持っている気がする。
「雪で高崎駅に缶詰めだったんだってね、お疲れさま」
 信越、と呼ばれて、嗚呼名前は知っているんだなぁと他人事。
 言われて思い出すような事を、当事者以外から聞くとは思わなかったと驚いて肩を竦めた。
「まぁ、天候相手だから。高崎と親交を深められたから結果オーライって事で」
「…それ、君たちの上官に聞かれたら怒られるんじゃないの?」
 声の温度が下がる。
 判りやすい敵意は、清清しい。
「そういう所、俺は好きだな」
「…………は?」
 高崎駅を始点に作られた路線は、延伸し、全通するも段々と短くなり、ついには分断された。それでも、始まりは高崎だった。
 高崎から更に山間へと進む道を望まれ、高崎と繋がる為に作られ、
「長野上官くらい小さければ、言うこと無しなのに」
 宜しく、と笑ってくれた彼には俺と出会う前から相棒が居て、接続先は俺だけではなくて、だけど俺には高崎が始まりだった。
 にっこり笑みを返せば、目の前の男は眉を顰めて笑顔だった表情を歪める。人好きのするだろう温和な表情を浮かべる眦は僅かに下がっていて、きっと子供の頃は可愛かっただろうにと遠い昔へ思いを馳せてみては笑った。
 男は、その少しの間で何か、主に噂的なもので聞いた事でもあるのだろう対峙する相手の性癖を思い出したように双眸を細めれば軽く息を吐いて首を左右に振り表情を笑みへと戻す。綺麗に貼り直された笑みは営業スマイル0円の見本のようなそれだ。
「それは残念だったね。僕は小さい頃に君と会って居なくて良かったと心から思うよ」
 それじゃあ、と踵を返す背中は似ていないのに同じオレンジ色で、背伸びしないと同じ高さになれない目線を独占し続けるのだ、これから先も、きっと。
「…でも、高崎なら今の儘でも好きだけど」
 嗚呼、閉鎖された世界。何一つ思い通りになんかならない、白い壁に囲まれた世界。
 この感情に恋なんて名前を、俺は付けたりなんかしない。



[ ] 2012.0228/3巻を読んでパーンした結果←
恋とか愛とかなんて名前を付けたりしたくないくらい大切なのに、その人の中には自分のスペースなんて無いのだと最初から判っているから何も始めたりなんかしない。終わらせない。