「今日の講義、上官と合同になったから」
朝のミーティングが終わる号令と一緒に告げられた何気ない言葉は、それを聞いていた殆どのメンバーの顔色を変えた。
講義とは、定期的に行われる講習会の事だ。路線だからとただ走っていて良い訳ではなく、自分たちが鉄道職員である事を認識しているものたちにとって、大切な仕事の一貫でもあった。
人工呼吸などの救急救命訓練や火災の際の消化器訓練などなど、専門機関を呼んでの本格的なそれらの為に日中の大半の時間が宛がわれたりする。それ自体に文句はなく、命の大切さを思えば上官と合同になるからと心境が変化するものでもないだろう。普段から真面目に受講していれば、その態度を改める必要などないのだから。
だが、今回の講義においては。
よりにもよって、今日か?誰かが諦めの悪い声を洩らしながら肩を落とした。同僚たちが同意して頷く。
「でも、何で急に?」
我関せず、普段から顔色なぞ変える素振りもない男が思い出したように在来のリーダーであり、問題の言葉を落とした眼鏡の青年へと視線を向けた。悲喜こもごも、というよりは9割が恨みがましいような視線を集中させる。
眼鏡のフレームを指の背で軽く押し上げた青年は、やはり少しも表情を変えずに緩く頭を傾けた。
「最近は駅中とかホームとかでも問題になってるから、やる事にしたらしいよ」
唐突に、ね。
ふわふわと柔らかそうな金の髪をした、幼さを残した青年が絶望色した顔でその場に崩れ落ちる。僕の所為じゃないのに、とウワゴトのように呟きを漏らした。
「あ。」
誰ともなく同情の眼差しを送られながら蹲る同僚へ、自分も何か言葉を掛けるべきだろうかと近寄った長身の男が間抜けな声を洩らす。振り返り様にリーダーへ詰め寄る勢いで声を上げた。
「ジュニアは参加すんのか?合同って知ってる?一人だけ逃げたりとかしてねぇよな!?」
「逃げるって…」
呆れたように苦く笑う同僚達へ、しかしこれは沽券に関わる問題なんだと視線が鋭くなる。元から眦のつり上がった、あまり良いとは言えない目つきをしている男のそれは怒気を孕んでいないというのに妙に迫力めいた。
溜息を小さく吐き出し、既に仕事へと切り替えた思考を引き摺ろうとする雑談に胡乱気に細めた双眸を眼鏡の内側から覗かせ、冷えた感情めいたものを織り交ぜて青年が首をゆっくりと左右へ振る。
「合同が決まったのは今朝だし、まだ知らないと思うよ?不参加するって連絡も無いし」
「良し!報せないでイイからな!絶対ぇジュニアも参加させる!」
それは君が決めることじゃないけど。
「…じゃあ、連絡は高崎がするって事だね。宜しく」
知らせなかった文句やら何やらが発生したとしても全部責任取れよ、と言外に含まれた言葉へ、けれどそこまで考えるのを放棄した男は「おぅ」と軽く頷いた。上がった顔は既に無邪気と称して良いだろう子供染みた笑みを浮かべている。
「ほら、仕事の時間だよ。それじゃあ皆、痴漢撃退の講義、遅れないようにね?」
■□■□
在来詰め所の扉を開いた瞬間、視界を塞ぐように現れた長身の同僚の姿へ、東海道本線ことジュニアはパチリと目を見開いた。
お出迎え宜しく、自分よりも身長の高い男が立ち尽くす現状に理解が追い付かない思考を嘲笑い、予想というものをさせてはくれない突飛な行動の目立つ同僚はニカリと笑んでジュニアへと飛び付く。親の帰りを待ち望んでいた子供のようだ、とは部屋の中で偶然にも見かけてしまった他の同僚談。
「良く来た、ジュニア!」
「えっ、おい!?高崎!?」
良く来たも何も、元よりスケジュールに東での講義出席が入っているのに。
素直に驚きながらも飛びついてきた成人男性の体躯をどうにか受け止めたジュニアは、同僚の行動の理由を求めてオレンジ色の背中越しに見える詰め所の中へ視線を走らせた。何かしらとからかわれる事の多いこの同僚が、助け舟を求めてこういう突飛な行動に出る事自体は珍しくもない。
見遣った部屋の中には、予想外にも冷え冷えとした眼差しを送ってきている同僚たちの暗い表情が並んでいた。
「……何か、あったのか?」
「お疲れ様、早かったね。講義は第1会議室だよ」
「ぁ、京浜東北…」
同僚を腰に巻きつかせ身動きの制限された儘、後ろからの声へと振り返れば見慣れた同僚が見慣れた表情で僅かに首を傾げ、長い髪を頬へ垂らしている姿が目に入る。メガネのガラスレンズに光を反射させ、その色素の薄い目に映っているかもしれない感情を見せさせない。
眉尻を下げ、困ったようにジュニアが溜息を吐いて「コレ」としっかりと抱きついて離れようとしない同僚を指差して肩を竦めた。
「理由、判るか?」
「…高崎、まさか本当に連絡してなかったの?」
連絡?事態の飲み込めていないジュニアが眉を顰めれば、叱られた子供のように拗ねて唇を尖がらせた高崎が静かに顔を上げる。その腕はしっかりと、同僚の腰の辺りを捕まえたままだが。
我関せず、各々業務に一区切りを付けて立ち上がり、移動を始めた同僚たちが出入り口を塞ぐ彼らに憐れみの視線を送った。
「…講義、合同になったんだ」
「何処と?」
交通網の関係で、千葉や埼玉など首都近郊の路線と合同で講義を受ける事は多々ある。滅多に顔を合わせないような地方路線と一緒、というのはあまり無いが、珍しいことではないのに何故そんな悲痛な声で言うのだろうと首を傾げる。
「…上官と」
「帰る」
「なっ、ズリィぞ!ジュニアが受けないなら、俺だって嫌だッ!」
言葉を聞いてから反応するまでの間が殆どなく、反射的とも言える動物的速度で身を翻そうとしたジュニアを捕まえた高崎が足を踏ん張って逃亡を食い止めた。成人男性の行動ではないな、と生温い視線を同僚たちが送り続けている。
もっとも、スグ傍に在来のリーダーたる京浜東北が居た。
パシ、と業務日誌の紙の束で2人の頭を教師が如く叩く。
「はい、往生際が悪い。ジュニアまで変なこと言い出さないでくれるかい?もう参加者名簿は提出しちゃってるんだから」
「…台風が来れば良かった」
ポツリ、と不穏な言葉を洩らす隣りを見遣り、今日に限って信号故障しねぇしと肩を落とす同僚の中でも最古参組を呆れた表情で一瞥し、京浜東北は「邪魔」と言い放った。時間が近くなってきているので移動を急ごうと、誰かの口から出る。
「武蔵野がマトモに走ってるんだから諦めなよ」
件の武蔵野が「呼んだか?」と振り向く姿を眺めて、オレンジ色の制服を着た2人は肩を落とした。
上越→高崎←宇都宮sideへ進む / ブラコン兄弟←山陽sideへ進む