昼には幾分か早い時間、年末に愚図ついて降り続いていた雪は年が明けると共に面影もなく晴れやかな空が広がっていた。
 帰省、初詣、初売り。
 交通機関としては年末年始の休みなぞ無く、寧ろ言葉で表すならば稼ぎ時とも言うべきか。時間帯の限られている通勤ラッシュとは違い、どの時間でも満遍なく混み合っている状態の駅や車内をどうにか捌いて戻ってきた在来の詰め所は何処の路線も多忙だと語るようにガランとしていた。
 省エネを守って消されている空調や明かりのスイッチを入れて高崎は自分の机へと突っ伏す。
 初日の出見物の帰りだろう客がホームのベンチで寝ているのを見て羨ましくなる程度には疲れていた。アルコールに浮かれた足で線路内立ち入りが起きていないだけまだマシだと自分に言い聞かせても、買い忘れた昼飯を買いに戻るかどうか悩んでしまうのだから程度の度合いも大きい。
「…高崎、昼飯食ったのか?」
 数分、意識を飛ばしていたらしい。聞こえてきた声に重たい瞼を押し上げると、眉間に軽く皺を寄せた顔が近くにあった。耳に心地良い落ち着いた声は、自分を気遣ってくれているのが判ってこそばゆい。
 乱暴に手の甲で目を擦って焦点を合わせれば、見慣れたオレンジ色の制服が見えた。けれど片割れのそれではない雰囲気に、嗚呼と誰か知れた安堵へ体を起こす。
「ん…まだ、っつうか買って来ねぇと…」
「嗚呼、起こしちゃったんだ?」
 ジュニア、と続いた声は誰のものかなんて考える必要もなく反射で認識出来る。起こされて嬉しいなどとは高崎も疲れている今は特に思いはしないが、起こされなければ何が起きたのか判らない不安を呼び起こす言葉に、それを笑みで言い放った男の方へと顔を向けた。
 残念ながら予想を裏切らずに意味深な笑みを浮かべている自分の片割れを緩く睨む。
「放置するつもりだったろ?」
「疲れてるみたいだから、優しさじゃないか。放置だなんて人聞きが悪いなぁ」
 お前に優しさなんてものがあったとは思わなかった、と小さく吐き出しつつ肩を竦めれば、笑うでもなく宥めるでもない、苦い表情の東海道本線ことジュニアが2人の間へ自然と割り込むように片手を上げた。今時珍しい風呂敷包みが翳される。
「とりあえず、オハヨウ。昼飯まだなら、これ食うか?」
「へ?あ、はよ…?」
 そう言えば遅出シフトのジュニアと会うのは今が初めてだと思い出して挨拶だけは反射で返した高崎の某然とした顔を見た宇都宮の視線が曖昧に逸れ、表情は変えぬままで風呂敷の中を見透かそうと双眸が細められた。
 僅かに窺い知れるそれは、これまた珍しい重箱だと遅れて気付く。
「お節料理…かい?君のとこのお兄さん、そういうの好きそうだよね」
 金にウルサイのは誰もの周知の事実。その反面、こういったものにはお金を掛けそうだ(見栄っ張りに)、と揶揄った意味が少なからず含まれているだろうそれに気を悪くするでもなく高崎の机の上に風呂敷包みを置いたジュニアが肩を竦める。
「好きっつうか、毎年恒例になっちまってるから止める機会がないんだよ。…ウチの分の余り物だけど、皆で分けて食ってくれればと思ってな」
「食ってイイのか!?サンキュ!」
「…それで皆の昼に合わせるように早く出勤か。僕には真似出来ないよ、スゴイなぁ」
 今にも重箱に飛びつきそうな高崎の首根っこを事前に押さえた片割れの平坦な言葉に、「感情が篭ってねぇよ」と高崎が眉を顰めるのは見慣れた光景でジュニアも全く気にしない。
 その場で広げようとする手へ、書類の重なった机の上では止めておけと窘める声が掛かり、母親に怒られた子供よろしく両手で風呂敷包みを下から掬い上げるように持ち上げた高崎が休憩用のスペースに移動した。その後を追って自分のお昼を持った宇都宮も続く。
 濃い紫に白の波紋が入った風呂敷包みの中から出てきたのは、使い古されたテーブルには場違いも甚だしい高級そうな3段の重箱だった。余り物が入っているなら百均のタッパーでイイじゃん、と出そうになった言葉を飲み込む。
 漆器特有の艶ある黒地、蓋と側面のそれぞれに松葉が描かれているそれを容易に触って良いのかさえ不安になって、高崎は軽く隣りに座る相棒へと視線で問いかけた。
「開けたら?」
 面白がっている声だ、とは付き合いの長い自分だから判るのだろうかと胸中で吐き出し、意を決して広くはないテーブルに重箱を広げていく。
「うわ…、スゲ」
 テレビやチラシで見るような、イメージ通りの御節料理に目を輝かせた。隣りでも感嘆の息が小さく漏れているのが判る。
 流石に伊勢海老がドーンと言う訳ではないが、それでも充分に老舗デパートの限定商品だろう風格が漂っているそれへ生唾を飲み込んで、高崎は包みの中に一緒に入っていた割り箸を割って少しだけ迷い箸をしてから無難に伊達巻へ箸をつけた。
「美味い!」
 飲み込むが早いかスグに続いた賛辞へ、お茶を持ってやって来たジュニアが照れくさそうに視線を逸らす。最初の一口で心奪われた高崎は既に次々と色々な料理へと箸を伸ばしていた。
 咀嚼し、嚥下する度に賛辞を口にする高崎に促されるようにして宇都宮も近くにあった栗きんとんを一口、食べる。
「…この御節、高かったんじゃない?」
「ぁー高いっつうか…」
 お茶を啜るジュニアの口篭る様子に視線が集まった。予約が殺到しているような店だから、あまり教えたくないのだろうか。どちらにせよ、こんな高そうなものを買う余裕なぞ無いのにと、里芋の煮しめを噛み締める。
 んー、と唸った声は珍しく歯切れが悪かった。
「俺が作ったやつと市販品と半々って所だし…」
「作ったのか?お前が!?」
 立ち上がらんばかりに驚き大声を上げる高崎の言葉を否定も肯定もせず、指先で頬を掻く男をまじまじと見つめる。料理が出来るとは聞いた事がないが、出来ないとも聞いた事はない。指先に絆創膏なんてお決まりのパターンが無いから、手馴れているのか、もしくは簡単なものしか作っていないのかの二択だろう。
 珍しく驚いている様子の片割れが市販品と手作りの見分けをつけようと重箱の中を覗き込んでいるのが妙に可笑しくて、割り箸の先を噛む。
「ジュニアって料理出来るんだな、知らなかった」
「まぁ、簡単なものならな…今年は遅出だったから、どうせだしと思って」
 持って来る事を前提に少し大目に作ったのだろう。居た堪れないとでも言うように逃げた視線を追いながら高崎は一番のお気に入りの伊達巻に箸を付ける。
「どうせっつうか、毎年持って来てくれても大歓迎だぜ、これは。…で、お前が作ったのってどれだ?普通に美味いのばっかで判んねぇや」
 かまぼこ、とかだったら味付けとか関係ねぇから俺でも作れそうなどと失礼極まりない事を思っているとは知らず、テーブルを挟んだ向かい側の席で苦く笑った顔が肩を竦めた。
「あー…その伊達巻、とか」
 更にもう一個、と口に運んだものを告げられ、飲み込む手前で驚きに咽喉がつっかえる。詰まる寸前になっている涙目には気付かず、ジュニアは大雑把な手振りで重箱の過半数をぐるりと指先で囲んで「ここら辺のやつ」と告げた。
 お茶で飲み下した高崎はその儘の勢いでジュニアの手を掴む。
「俺と結婚しよう!」
「…は?」
 さっきまでの恥かしそうに伏せられた視線が一変、訝る表情で首を傾げている姿にそれでも尚も高崎は募った。
「お前の伊達巻に惚れた!マジで美味い!ってか、この角煮とかもお前が作ったのかよ?スゲェ料理出来るんじゃんか!スゲェ!俺と結婚しようぜ!」
「はぁ?言ってる事、可笑しくなってるぞ!落ち着け!」
「そうだよ、落ち着きなよ高崎。君なんかと結婚しても、苦労するのが判ってるんだし嫌に決まってるじゃないか」
 隣りから続いた相棒の辛辣な言葉は表情の笑みとは似ず低い。というか暗い。そのグッと言葉を押し留めさせるようなオーラを、けれど長年の付き合いで慣れてしまった高崎は拗ねるように顔をそちらへと向けて眉間に皺を刻む。
 普段から目つきの良くない視線が吊り上がり睨みつける様子へ、同じように慣れている宇都宮が怯むことはないが。
「…どういう意味だよ?」
 そのままの意味。宇都宮の笑みが深まる。
「給料日前になると金欠だし、朝はちゃんと起きないし、部屋は散らかしっぱなしで片付けないし…君と結婚してメリットなんてないじゃないか?」
「それ以前に結婚とか有り得ないだろ」
「ウルセェ!そんな事ねぇ!俺は…アレだ、結婚したらスゲェ大切にする!」
 冷静な突っ込みは聞こえなかったものとされてしまい、妙なヒートアップをした高崎が急行列車さながらのスピードで当惑するジュニアへと迫った。箸を置いた両手で捕まえた相手の手を胸の前に引き寄せ、ジッと見つめる。
「ジュニア、俺と宇都宮、結婚するなら俺だよな!?」
「…は?いや、まぁ…そりゃ、そうだな…?」
「ほら見ろ!俺だって、お前とジュニアだったらジュニアを選ぶ!」
「…それは有難いね、僕も君とは無理だもの」
 否、だから何か可笑しいだろ?と挟もうとするのに挟めない言葉に口をパクパクと動かし嫌な汗を流すジュニアを他所に、珍しく食い下がる高崎の勢いを機嫌の悪さが判る宇都宮が笑顔だけは崩さずに返した。
 新年早々、勘弁してくれ。
 白熱していく口喧嘩が痴話喧嘩にも聞こえつつ溜息を吐き出しながら項垂れると、ちょうどタイミング良く扉が開き見慣れた在来組がぞろぞろと姿を表す。皆、一様に年始の混雑にうんざりした表情を浮かべ、部屋の中に入った瞬間に耳にするお馴染みの長身2人組みの口喧嘩を耳にして更に疲れを肩へと乗せていて不謹慎だと思いながらも笑えてしまった。
 軽く片手を上げて、ジュニアが皆を呼ぶ。
「…ぁ、おはよう、ジュニア!…何これ?」
 不機嫌オーラを撒き散らす宇都宮を遠巻きにしながら近寄ってくる皆の視線は喧嘩と重箱と半々に分かれていた。これ、と指されたのはテーブルに並んだ重箱の方だ。
「昼飯に皆で食ってくれ」
「因みにコレは?」
 何がどういう流れになったのか、喧嘩の内容は過去の恋愛遍歴にまで発展している自分と同じオレンジ色をした制服の2人組みを一瞥してスグに逸らされた視線は何も訊くなと語っていた。
「とりあえず、明けましておめでとうっつう事で」


 その後、休憩時間いっぱいを使った口論は「俺は誰とも結婚しねぇし!」で納まったとか何とか。よくも飽きずに毎年やるよね、と誰かが呟くのは言うまでもなく。




[ ]  2012.0103/リクエストありがとう御座いました!「じゃれてる」ってどんなんだよ!とか本気で悩み、オチが見つからなくて悩み、とりあえず御節料理ネタにしようと思ったらイミフな文になってしまってスミマセンでしたorz こんなのですが、リクエスト主様へ。ありがとう御座いました!!